もどる

第7回 日本フィスバ株式会社 ●藤田克己氏

藤田社長2三宅:突然のインタビューの申し込み、ご多忙のところご快諾いただき本当に今日はありがとうございます。とにかくまず「おまえは誰だ?」と思われてますでしょうから簡単に自己紹介をさせてください。

藤田:わははは。いや、あなたの経歴、インタビュー記事もひととおり見せてもらいましたよ。僕はマナトレーディングの齋藤社長ほどに生地の専門でもないので面白いお話が出来るかわかりませんけれど。

三宅:齋藤社長とはお知り合いですか。

藤田:僕がハンターダグラスのころからの付き合いです。

三宅:ハンターダグラス・・・ですか?

藤田:僕はね、もともとは総合商社に勤めていたんです。チタニウムとかマグネシウムとかね、インテリアと全然関係ないところにいました。
それが2001年にハンターダグラスにヘッドハンティングされましてね。三宅さんハンターダグラスはご存知ですか。

三宅:もちろんです。我が家の窓回りにもハンターダグラスのシルエットシェード(※1)とデュエットシェード(※2)をつけています。

藤田:ハンターダグラスはもともとアルミニウムの会社でね、オランダ本社での本業はアルミの羽根のブラインドだったんです。世界で一番安いアルミの工場を持っているハンターダグラスと、三協アルミニウムという会社との合弁会社として日本で事業展開していきたい、この2つのカンパニーを取りまとめられる奴はいないかってことで僕に声がかかった。アルミという建材のことはわかりますが、インテリアとかブラインドの話なんか僕はちっともわからなかったんだけれど慶応大学の僕の後輩に江口恵津子(※3)がいましてね、ちょっと声をかけてインテリアのこと教えてくれっていったりね、設計の先生に相談したりとかね、そんなことをしながら社長を引き受けてみたのです。それが2001年。
マナトレーディングはハンターダグラスの代理店でもあったので、齋藤社長とはそのころからのお付き合いです。

三宅:なるほど。

藤田:当初はアルミのベネシャンブラインド(※4)を売れということだったんだけれど、日本にはすでにニチベイ・トーソー・タチカワっていういわゆる「NTT」がありましたから今更同じものを作ってもしょうがないだろうと。だったら彼らにない商品を考えようって発想で、デュエットとシルエットという2つの商品、布のシェードに注目したんです。その2つは商品として訴求力もあるし、美的にも受け入れやすい、これに力をいれようということに。これがね大変伸びてくれました。

三宅:ハンターダグラスといえば、シルエットかデュエットというイメージは定着していると思います。

藤田:そんなことをやっていた6年目、フィスバの6代目のオーナーで当時日本の社長をやっていたマイケルさんから声がかかりましてね。自分はスイスに戻って全体の社長になるから、日本での後任を探したい。日本フィスバの社長をやってくれないか、と。

三宅:またヘッドハンティング!

藤田:そう(笑)だけど、日本フィスバへと声がかかった時には実は1年間断り続けたのです。ハンターダグラスの事業がうまく回り始めていたしちょっと離れたくないなぁと。ですが、マイケルの熱意と人柄、生地に対する愛情、クリスチャンフィッシュバッハというブランドのヨーロッパでの立ち位置なんかも知りましてね、スイスにも何回か招待されまして、それこそ全然違う世界を見せられたわけですよ。今まではどちらかというと工業製品を扱っているような仕事だったけれど、こちらはアートだった。僕の最後の仕事としてそういう世界もいいのではないかと考えが変わりまして、1年の説得ののちついに、日本フィスバの社長を引き受けることにしました。それが2007年です。いや、あっというまに9年たちましたねぇ。

三宅:以前「スイスデザイン展」という企画展がありました。その中に、フィスバのファブリックのデザイン画の展示がありました。コンピューターでさささっとデザインしてるんじゃないんですね、スタートは一人のアーチスト、デザイナーが手で一つ一つ描き込んでいた。その原画を見て、確かにあぁ、これはアートだ、フィスバのカーテンはアートなんだってすごく感銘を受けたことを思い出しました。

藤田:そうです、CGなんかで作っているんじゃないんです。

三宅:それにしてもずっと社長業なんですね。社長人生。いったいどんな生活をしているんですか。

藤田:いや、僕にも新入社員のころはありますよもちろん(笑)でも、えーっと、そうですね僕、4つ社長をやってるんですよ。

三宅:4つ。藤田社長4

藤田:総合商社にいたころ、企業内企業というか、商社斜陽論がありまして。企画書を渡したらじゃぁ資本金2億やるからその事業をやってみなさい、っていうのがあったんです。そういうので2つほど社長をやったんです。チタニウムとかマグネシウムでなにやるかっていうとね電気自動車に使うリチウム電池の中身を作っていた。アメリカのNASAの技術とか取り入れていくつかの会社と合弁でね、とにかく特殊な金属をつくる会社を作ったんだけれど、今から20年以上前ですよ、電気自動車の電池の中身だなんて時期尚早でしてね、なかなか売れないんですよ。

三宅:特殊な金属・・・。

藤田:その技術って何なのかというと、金属を穴の開いたチーズのように加工するんだけどその技術はとても難しいんだけれど、金属の表面積を広げることができる。NASAで、スペースジャイロの電極に使える技術なんだけれど・・・あ、ちょっと難しい話になっちゃうね(笑)

三宅:スペースジャイロの・・・・電極・・・(笑)

藤田:とにかくものすごーく細かい穴をあけてすーっと空気を通すことが出来る、この加工技術をほかに何かに使えないかなぁと思ったら、あったんです。レストランとかの厨房のダクトフィルター。少ないパワーで、従来のダクトフィルターに比べて2倍以上の油がとれる。これはいいぞ!ってね。でも、ただそれを売るだけじゃつまらないでしょう?ダスキンみたいにレンタルでどうだ、と。定期的なお掃除とフィルターを交換しますよという、そんな会社を47都道府県に作った。僕がいたのはニチメンという商社、今の双日で、作った会社はONLY ONEという名前です。当時のニチメンの常務がやるなら市場で唯一無比の会社を作れという事で命名してくれました。このグリスフィルターの分野ではオンリーワンはダスキンを凌駕しました。

三宅:ダスキンに勝った(笑)

藤田:すごいでしょう?(笑)

三宅:藤田社長の中にはつねにベンチャー精神があるんでしょうか。

藤田:社長ってね大変ですけれど、人材が育っていいチームが出来て、意思疎通がうまくできて、そうやって会社がうまく回りだしますとね、だんだん社長ってヒマになっていくんですよ(笑)スタッフが優秀に育ってくれると社長は責任をとる立場になり、基本ヒマになる。僕はそれがねぇ耐えられないんです。進化が止まっちゃうんです。ヘッドハンティングの話があるときは、たいていその会社はなんらかの立て直しが必要な時なんですよ。このまま今の会社に残っていれば安泰で、新たなほうにいけばいばらの道で、っていうのはわかっているんです。わかっていて僕はそっちを選ぶ人生を送ってきた。いつも「さぁこれからおいしいデザートですよ」ってときに席を立つ。よーしやってやろうじゃないか、って。

三宅:いつもデザートが食べられないんですね。

藤田:三宅さん、1回しか人生はないんですよ。やれることは全部やっておきたい。死ぬ間際に「あれもこれもやりたかった」と悔いを残すのは嫌でね「あぁ楽しかった」って言って死にたいんです。だから、やれるときにやっておきたい。やろうかな、は無しです。慎重に検討してとか、時期が来たらとか、じゃなくてね、僕は無鉄砲と呼ばれるかも知れませんがそう思って動いています。そんなんだから負けるときは負けますよ(笑)失敗もたくさんありますから。準備不足だったなぁとか、時期が早すぎたなぁってそんときに反省すればいいんです。やればわかる。やったやつにだけ、わかるんです。

三宅:無鉄砲なところは私も共感できる部分があります(笑)ところで、そうやって社長から社長、そしてまた社長から社長へと続いていますが、またどこかの企業からヘッドハンティングの話が来たらどうしますか?

藤田:いや、もうそれはないと思いますよ。あったとしてもお断りします。僕はもう65才になるし、自分の時間をもっと持ちたいと考えています。

三宅:何かやりたいことがあるんですか。

藤田:僕は子供のころわんぱくでガキ大将だったんです。スポーツもね、陸上部で。ダウン症とかの子供たちが通う学校が併設されていて一緒の校庭で遊んでいたんだけれど、そこの子はよくいじめられていたのね。僕はその子たちの守り神だったんですよ。両手をこう広げて、守るようにね、壁になってあげる。
ダウン症の人って普通の家庭に普通にポロっと生まれてくる。彼らは、人をだますとかがない。

三宅:私も、まだ公務員をやっていたころ、休みの土日ごとにダウン症の子供たちが集まるグループホームに通ってボランティアをしていたことがあります。一緒に手をつないで上野駅から電車にのって、都内の公園に出かける。遠足みたいなもんですね、そういう「一緒に一日を過ごす」というボランティアをずっとやっていましたが、彼らは何かにこだわりを強く持って、そのことにひたすら集中する。彼らの中には「悪意」というものがなくて純粋に生きているというのを知りました。

藤田:ワイフの遠縁にヤマト運輸の小倉理事長がいまして、1998年に銀座にスワンベーカリー一号店を出しました。知的障害者たちを雇用しているパン屋さんなんですけれどね、いまもうどれくらいふえたのかな、全国にけっこう展開しているんですよ。その事業をスタートさせたときの開店資金はヤマトのお金を使うんじゃなくて彼のポケットマネーから出した。彼はもう死んでしまったので今は基金になっているんだけれど。そういうの、いいなぁ、って思ったんです。
ダウン症の子たちは単純作業に全然飽きないの。粉を練る子はずーっと練ってるし、レジの子はずーっとレジに集中してやっている。

三宅:あぁ、わかります。

藤田:ダウン症の方たちが、集中して製品をつくり、収入を得て、自活できる、そういうサイクルを作ってあげたいと思ってるんです。お役所がね誰も買わないようなティッシュケースを作らせるような施設を作ってるでしょ、そんなの売れませんよ。そういうお役所仕事じゃなくてね、ちゃんとした商品を作って、ちゃんと利益を出せて、彼らに還元してきちんと生活ができる。偽善って言われてもいいんだけれど、そういうことを考えているんですよ。ボーンってどっかにお金を寄付するだけ、っていうんじゃなくてね、ちゃんと自分が参画するものとして。

三宅:社会貢献、ですか。

藤田:この歳になるとね、欲しいものが何もなくなるんです。本当に。例えばステーキを食べにいくでしょ。300g?絶対食べられないし、ちょっとでいいんです。流行を追って新しい洋服?必要ないですし、いいものをちょっと持っていればいい。そうするとね、お金を使わなくなっちゃうの。本当にそうよ。ただひたすら貯まったって・・・しょうがないでしょう。だったら若い人や、ハンディキャップを持つ人に喜んでもらえるように使いたいな思うんです。

三宅:ボランティア精神がお強いのでしょうか。

藤田:僕はクリスチャンです。子供のころからそういう環境だったし、ボーイスカウトもやっていましたから、自然にですね。立場の弱い人やハンディキャップのある人は、守れる人が守ってあげるべきだという考えが自然に身についているんだと思いますよ。

三宅:そうなんですね。

藤田社長3藤田:そんなわけでね、小学校の時に仲良くしていたある知恵遅れの子がね、学校を卒業してメッキ工場で働くようになったの。いつも僕の家の前を「ふーじーたーちゃーん」と言いながら来てたんだけれど、小学校からのクセが抜けなくて工場に出勤するときにも「ふーじーたーちゃーん」てくるわけ。そんで顔見て安心してそのままメッキ工場に行くの。それがそのうちぱったり来なくなったもんで気になって自宅をのぞきにいったらお母さんが出てきてね、死んだっていうんですよ。朝7時から夜10時まで毎日働かされて、つまり本当に安い賃金で労働力を搾取されていたわけなんだけれど、過労で死んでしまった。僕が大学生の時に。お母さんは「工場に殺された」と言っていた。僕はね、こんなことがあってはならないと憤りを感じましたよ。そんなことも頭の片隅にずっとあって・・・ハンディキャップのある人たちのためにいつか施設を作ろうというのは、彼が死んだ大学2年のときに僕が自分の中で誓ったことでもあるんです。それが、65才になる僕がこれからやりたいと思っていること。

三宅:社会貢献の考えはいつごろからでしょうか?

藤田:そうだなぁ40才過ぎたぐらいかな。それまでは天狗でしたよ、僕は商社マンだ社長だーってふんぞり返ってましてねそりゃぁ~生意気でしたよ(笑)でも、そうじゃないなって気がついたのが、40才過ぎたくらいです。

三宅:そうなんですね。

藤田:社会貢献といえば思い出しましたけど、フィスバの商品の中にタオルがあるでしょう。震災の時にはね、倉庫にあったタオル、何百枚あったのかな、被災地にすぐ送りました。それと、とにかく在庫している生地も全部送っちゃったの。
避難所の仮設住宅に変な無味乾燥な布っきれじゃなくてね、フィスバの美しいデザインのカーテンが垂れ下がっているほうが、被災者の心に少しでも何かいい方向に変える力が生まれるんじゃないかと僕は思ったわけ。
インテリアは人を幸せにする道具であり、心に働きかけて人生を左右する、そういう力があると思っていますよ。

三宅:マナトレーディングの齋藤社長も同じようなことをおっしゃってました。

藤田:じつはね、インテリアによって免疫力が高まり情緒が安定するということ、医学的に検証されているんです。慶応の後輩で、那須の老人ホームに音・光・色・香で空間を作って免疫力の実験をした人がいるんですよ。ブラインドとファブリックのカーテンでも実験した。明らかに、ファブリックのカーテンのほうが人間の免疫力が高まるということが実証されたの。

三宅:へぇ!それは営業トークにぜひ使わせていただこうと思います。

藤田:今日はね、僕が所属している「ロータリークラブ」の会合があったんです。各地のロータリークラブにより、メンバー数やメンバーの職業は様々です。僕が所属しているクラブは180名以上のメンバー、大企業から個人事業主、お医者様、弁護士、歌舞伎役者まで様々な方が集まります。1時間の会合で、最初の30分は皆で歓談しながら食事をし、後半30分で各界の方をお招きして様々なお話をして頂くのです。

三宅:会合場所に爆弾でも落ちたら大変なことになりそうですね。なんかトップがみんないなくなっちゃうっていう・・・(笑)

藤田:昨年入会したばかりなので、全てのメンバーとは知り敢ていませんが、驚いた事にメンバーの半数以上のご家庭で当社のカーテンか又はベッドリネンが愛用されておりました。これは嬉しいなぁと思いました。ハイエンドな富裕層に支持してもらっているフィスバという確立されたブランドはね、守りたいとは思うのですが、でも社員に言いたいのはこのブランドにあぐらをかいていちゃだめだよ、ということです。

藤田社長1三宅:天狗になるなということですか。

藤田:そう。立ち上げた当初、とにかく百貨店のインテリア売り場、外商ルートを重視した商売をしたおかげでいまの日本フィスバの「ブランド力」が確立できたのは紛れもない事実なので、出発としては成功だったとは思っていますけれど、いま、百貨店そのものの力が落ちていますでしょ。相対的に言えばそれでもまだ外商を使う方は多いですけれど、60代70代のご両親が外商で家具やカーテンを買ってくれるといったって、30代40代のその娘息子も外商で買い物をするかといったら、しませんよね。みんな自分でカッシーナとかタイムアンドスタイルとかライフスタイルショップに買いに行っちゃう。流通が変わってきているからいつまでも百貨店に依存する組織ではだめだと思っています。
百貨店もありだけれどすべてではないよ、という社員に対してのマインド教育もしていきたいと思っているんです。

三宅:それにしてもフィスバのカーテンはやはり「高い」ですよね!

藤田:ボリュームゾーンのメーカーさんが高級ゾーンをやろうとしてもなかなかうまくいってないでしょう?逆にいうと、フィスバがボリュームゾーンに手を出すのも難しいというか、ブランドミックスになってしまうのは避けたいと思ってるんです。例えばカッシーナは、カッシーナとイクスシーという2つに分けて、イクスシーはあくまでも日本のデザインのもの、カッシーナは輸入というふうにしてブランドミックスが起きないようになっている。われわれも、富裕層ばかりを相手にした商売だけをやりたいわけじゃなくてちゃんとターゲット層を分けて考えないといけないんですけれど、やり方を間違えたらブランドが共倒れになる。だから難しいですよ。

三宅:ボリュームゾーンに手を出したことによってフィスバという高級なイメージが崩れるのは避けたいということですね。

藤田:インテリアってカーテンからのメーカーさんが多いですけれど、我々はベッドリネンもやってます。リビングというよりもね、ベッドルームをね、シーツ、デュベカバー、カーテン、椅子の張地、オーダーラグ・・・そんなふうにしてコーディネートしてもらいたいなーって思ってます。フィスバの世界でねトータルに。

三宅:インテリアコーディネート、ト-タルコーディネートということに藤田社長ご自身は興味はあるのですか。

藤田:僕は決してコーディネートのプロではありませんけれどね、日本のインテリアって綺麗はきれいだけれど、だいたいみんな同じようなモデルルーム作ってるでしょう。カッシーナいれて、アルフレックスがあって、バカラを置いて、っていうセオリーに沿って整えれば出来ちゃうでしょ、っていう、ほんとつまんない空間。でも、お客さまはだんだんそういうのから離れていって、やはり自己主張というかな、好みがはっきりしてきていますよ。お仕着せの部屋で満足されないお客様が出てきている。それにこたえられる体制に供給側がなっているかというと・・・どうでしょうね。インテリアコーディネーターも含めてですが、みんなひととおりの知識はもっているけれどもっととびぬけて何かに特化してしまったほうがいいと思うんですよ。

三宅:個性、でしょうか。

藤田:僕はアメリカは行かないから知らないけれど、ヨーロッパはね、インテリアは家具から始まるんですよ。決してカーテンからじゃないですよ。家具からです。それプラス、その人のライフスタイルを反映させていく。日本はまだまだ、ですよ。まだまだ、だなぁ(笑)
インテリアって奥が深いしやりがいのある仕事だと思いますけれど、日本のインテリアコーディネーターはもっともっと勉強してほしいなって思いますよ。

三宅:耳が痛~い、です。

藤田:インテリアコーディネーターって、2種類あるんですよ。
お客さんの好みに合わせてぜんぶやる場合と、自分自身のスタイルと世界観を確立させて、これどうでしょう?ってやる場合。
どちらもありだとは思うけれど、本物のインテリアコーディネーターになりたいのなら僕は後者が正解だろうなぁって思っていますよ。

三宅:なれるでしょうか。

藤田:大丈夫ですよ。たくさんたくさんたくさん、お勉強するといいですよ。

三宅:何をお勉強しましょうか。

藤田:やはりライフスタイルの話ですから。予算にあったものを提案する、お客さまの本音のニーズを見抜く力です。そのためには自分自身が経験していないとだめです。たくさんのものを見ることです。見るだけじゃなくて、手で触るんです。例えばいまデジタルプリントなんてのが主流になっていたりするけれど、版で印刷したものとはやっぱり全然違いますよ。デジタルプリントは低コスト、もちろんニーズがあってこれはこれで必要な技術ですが、手をかけたものの良さにはかないません。なんでもいい、そういうものをたくさん見て触って見て触って、本物を見分ける目を養う。いいものを知る。5~6千円の食事をずーっと続けるくらいなら、普段500円の牛丼とかラーメン食べて、時々3万円のフルコースの食事をしたほうがいい。たまに安いホテルに泊まるのもいけれど、いいホテルもちゃんと経験する。

三宅:はい。

藤田:JAFICAとかいろいろ団体ありますけれど、どこにも属していない本当にフリーランスのインテリアコーディネーターなんて日本に100人もいないだろうと思いますよ。
欧州であれば、インテリアデザイナーというのは弁護士と同じような地位と収入を得ますが日本では悲しいかなちょっとまだ低い立場とみなされてますでしょう。なおさら三宅さん、フリーランスならば専門知識プラス自分の世界観とライフスタイルを確立させなきゃです。たぶん、難しいことではないと思いますよ。大丈夫、必ず次の世界が広がりますよ。

三宅:世界観とライフスタイルの確立、ですね。インテリアコーディネーター自身の。

藤田:それこそロータリークラブに入って世界を広げたらいいと思いますよ。本当に面白い世界が待ってますよ~。

 

 

(2016.6 ホテルオークラ(東京都港区)にて撮影・インタビュー)

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

※1  シルエットシェード>>>シルエットが美しいシェード
IMG_6994
※2 デュエットシェード>>>ハニカム構造になって保温性の高いシェード
IMG_1538

※3 江口恵津子>>>株式会社ヴェルディッシモ代表のインテリアコーディネーターさん。劇的ビフォーアフターなどメディア出演も多く業界では有名人。

※4 ベネシャンブランド >>>横型のブラインドのこと。縦型はバーチカルブラインドという。
IMG_2494

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
藤田社長5藤田克己氏
日本フィスバ株式会社 代表取締役社長

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
編集後記:
ソフトな口調、お話し上手、全身から発せられる「ダンディ」オーラに完全にノックアウトしましたよ、私。
防炎加工、機能的な技術のお話、イタリアンコレクションの話、裾は30センチほどブレイクさせてグワーっとダイナミックに大胆に、ブランドの話、ダックの羽根の話、記事にはならず割愛してしまったお話がたくさんあります。
今度おいしいお店に連れて行ってくれるそうなので♪続きをまた楽しみたいと思いました。

jay blue
PAGE TOP

Copyright © jay blue