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わかりあえなさをわかりあう話と、本のレビュー『紙の動物園』

2021.1.26 Tue.

六本木の21_21デザインサイトで
「トラNsスレーショNs展」がやってます。

なんて読むんだ?
トランスレーションズ展、ですね。
わかりあえなさをわかりあおう、というサブタイトルがついています。

トランスレーションズ展 ― 「わかりあえなさ」をわかりあおう

いったいどういうこと?
ちょっと気になったので
昨年末にのぞいてきました。


(21_21 DESIGN SIGHT この建物、私好きなんですよ)

トランスレーション→日本語にすると「翻訳」という意味ですが
翻訳とはコミュニケーションをデザインすることである・・・というのが
この展示の核です。

違う国籍の人たちがどうコミュニケーションをとれば思いが伝わるだろうか。
真っ先に思い浮かぶのは、日本語から英語、といったような
言語から言語への変換(いわゆる翻訳)だろうけれど、
わかりあえないものをわかりあうためのコミュニケーションは
実は言語だけに限ったことではない。
耳の聞こえない人に、今、目の前でニンジンを刻んでいる音を共有するにはどうしたらいいか?
心の中のモヤモヤを他人に伝えるにはどう表現したらいいか?
人間が植物のご機嫌を知るにはどうしたらいいか?
ペットと会話は出来るか・・・?

世の中にはいろんな「わかりあいたい」関係が存在している。

翻訳という作業をどんなコミュニケーションを用いて成し遂げるのか
聴覚、触覚、手話、ジェスチャー、科学技術、・・・感覚や身体表現を用いながら意思疎通を図ろうとするプロセスを
多角的にとらえた、実験的展示企画でおもしろかったですよ。

そしてまた興味深かったのが
「鑑賞から逃れる」っていう動くオブジェ。
AIを搭載した(ざっくりいうとペッパー君みたいなものをイメージしてください)物体が、
こちらの存在(視線)をキャッチすると逃げていく、
絶対にお互いの距離を縮めさせない、真正面から向き合わないようにプログラムされている。

わかりあえないをわかりあう、というイベントスペースの中において、
向き合うことから逃げるっていうのが含まれているのがおもしろいなぁなんてね、
思いましたよ。

説明下手な私のかわりに(!)
うまいことまとめてあるサイトを勝手に見つけたので
リンク先をご紹介させていただきます。

様々な“翻訳”の可能性を考える。「トランスレーションズ展 -『わかりあえなさ』をわかりあおう」をレポート!|haconiwa|「世の中のクリエイティブを見つける、届ける」WEBマガジン (haconiwa-mag.com)

 

 

で。

トランスレーションズ展のことは、それぐらいにして。
(それぐらいにするんか)

帰り際に、お土産コーナーに置かれていた1冊の文庫本。
なんとなく惹かれて読んでみたので、そこことについて書いてみようと思う。
というのが今日のブログの本題です。

 

「紙の動物園」
ショートストーリーなので30分もあれば読み切れる。
読後感がいいか悪いかと聞かれたら、非常に困る。
嫌悪感はないが爽快感もない。
ほのぼのとも言えなくもないがどこかエグさもある。
熱狂もしないが、冷静でもない。
なんとも言い難い、ひたすら心が小さくざわつく、そんな本だったのだ。

私が4歳か5歳のころ、両親が猫のぬいぐるみを買ってくれた。
真っ白な毛並みの上品な猫だ。
ミーコちゃんと名前をつけて、それはそれは可愛がっていた。
幼かった私の目には、このぬいぐるみはほとんど本物の猫にしか思えなくて、
ミーコちゃんはにゃぁと鳴くし、ミーコちゃんはのどをゴロゴロ鳴らすし、
ミーコちゃんはエサを食べるし、ミーコちゃんは生きている猫そのものだった。

時々父親が私をからかって、ミーコちゃんの頭をポンとたたいたりすると
私は本気でかわいそうになって「ミーコちゃんをいじめるな!」とワンワン泣いた。

成長とともに、いつのまにかミーコちゃんと遊ばなくなった私は
段ボールの中にそっとしまいこむようになった。
大学生になったある日、久々にそのダンボールを開けて、ミーコちゃんに再会したときは
ひどくショックを受けたのを覚えている。

ぬいぐるみやないかい。

どこからどう見ても、それはただの猫のぬいぐるみだった。
にゃぁと鳴いていたはずの生きていたはずのミーコちゃんは、
薄汚れた普通の人形だったという衝撃の事実に驚き、
大人になってしまった自分を恥じた。

そんな個人的なエピソード思い出したのは
「紙の動物園」の主人公(少年)が、
母親がオリガミで作ってくれた動物に、
かつての私のミーコちゃんと同じ体験を重ねていたからだ。

中国の貧困農村に生まれ18歳で人身売買のカタログに載せられた女の子は、
アメリカ人に買われ、英語も話せないままアメリカで暮らすことになる。
2人は夫婦となり男の子を出産する。その男の子が、主人公(少年)だ。
少年が幼いころ、母親はよくオリガミを作ってくれた。
虎や、ライオンや、いろんな動物で、
少年にとってそれはみんな生きていて吠えて動き回っていたのだ。

家庭には愛があったが、それと同時に、テレビゲームを買ってもらえないことや
母が中国語を話すこと(英語を話さないこと)に苛立ちや恥じらいを感じたりと
家族に対しての微妙な心の揺れを抱えながら、
やがて少年は成長し、反抗期を経て大人になっていく。
紙の動物は箱の中に追いやられいつしかピクリとも動かなくなっていた。
それはただのオリガミなのだ。

母の死後、母が残した手紙が小説のラストを飾る。
少年がなにひとつ知らなかった母のおいたち。
全然わかっていなかった、母の思いや苦悩。
わかりあえていなかった家族。

・・・とまぁ、そんな本だ。
なんともいえない、ざわざわが止まらない一冊。

 

 

 

今日のブログは以上です!!

 

 

 

 

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